積み本は劣等感の具現化
ちゃんと描きたいテーマだが、とてつもなく眠いので、今回は序章ということで少しだけ。
「積み本」とは読んでない本の集まりで、今読んでいる本を読み終わってもいないのに次をすぐ買ってしまう、自然発生のピラミッドである。
なんどもなんども続くので、消滅することはない。
なぜ私たちはピラミッドを建築してしまうのか。
私の場合は、本を読むスピードと本を欲しがる頻度が全く釣り合っていないからである。
読書好きとは言っても、1日中ずっと読める体力なんてないし、一冊読み終わるのにすごい期間が必要になる。
生きていく中で、たまには映画も見たいし、友達のSNSだってみたい。
読書時間とは余暇世界の暮らしである。
それに対して、あ、あれ読みたい・・・これも読んでみたかったやつ!という機会は人生に非常に多く登場する。
たとえば好きな写真家が紹介していた本、有名な人がつぶやいていた本、実際に私の大事な本は、読書とは異なるところから発見される。
そして、そのことに関して私が言いたいのは、
その本を手に取ることは、一種の憧れなのである。
憧れの人が読んだ本、素晴らしいことが書いてあるに違いない、私も同じように・・・。そう思ってしまうのだ。
私も言いたい。「あの本は素晴らしい」「影響を受けた本です」「何度読み返したかわかりません」とか。
それはつまり、劣等感そのものである。
眠いのでここまで・・・。