クララとお日さま

カズオ・イシグロの「クララとお日さま」を読んだ。

 

最初に内容を聞いた時、「AIと人間の物語なんかやり尽くされている・・・。」と少し白けてしまって、読み始めが遅れてしまったのは正直なところだ。

 

読み終わった今となっては、事前のイメージとは異なった、カズオ・イシグロらしい、人間らしさや社会の時流が描写されたとても美しい物語だったと感じている。

 

もちろん将来的なAI世界やそこに生きる人々を取り上げながらも、茂木健一郎の言う通り、クララは我々人間の心を映す鏡であって、その目から世界と人間の絶妙な心の機微が描写されていて、イノセンスな子供を軸に展開される美しい物語だと思った。

 

大学へ行くジョジーと、最後の別れをするシーンはよく描写されていて、自分が廃品になる運命だと遠回しに告げられても、そんな時でさえジョジーの為に何ができるかを考えるクララは出来すぎたフレンドだと思う。

懸命に役目を果たそうとするクララの純粋さは美しい。

けれども、どんな状況でも自分の役割を肯定し続ける姿は、人間がロボットに求める従順さというエゴを反映しているようでもあって、少しだけ苦しい思いを感じたのは私だけではないはずだ。(ここには大きな議論の余地があるポイントだ)

そんな中で、クララが少しづつ成長し続ける姿に我々は美しさを見出し、イノセンスな子供のように感じ、その点でだけクララを人間と同格に見ているような気がして、自分の中にそのような目線があるのを自覚して、少しだけ寂しくなった。