素晴らしいものの理解には準備が重要である。

「才能を使い切って見せてくれる人には、こちらも感性を使い切って感じたい。」

 

椎名林檎の言葉だ。

この言葉が語る意味に、ぼくはいつも全面的に同意してしまう。

 

素晴らしい音楽、映画、本に出会った時、その美しさが世界で揺るぎない真実として存在していた時、そのことに気づくことができるだろうか。

準備はできているだろうか。

 

アマデウスという映画は、モーツアルトの才能に嫉妬した主人公が苦しむ物語であるが、それと同時に、モーツアルトの才能を、ほんとうの天才であることに気づけたのは主人公だけであるという葛藤の物語でもある。才能を理解できる才能があった。

相手を陥れる一方で、信じがたい才能を前にして、自らの才能にも嘘をつけない主人公。

そんな誠実な男の生々しい葛藤はこの映画の魅力であり、極端な選択に自らの人生も道連れとなる。

美の追求と、それを生み出すものへの嫉妬も、自ら生まれ持った才能を怠ることなく磨き続けたこと、理由でもあり、さらには教示となりえるであろう。

 

美しいものを心から理解できたとすれば、少しずつ彩度のある人生へと変化していくはずである。

そのためには、準備をしなければいけない。

 

自分の理解する才能を磨いて、準備を怠ってはいけないのだ。