本とか文章とか
part1
わたしは本を読むのが好きだけれども、では本の何が好きですか、と尋ねられると
なんだかきっちりとは答えを出せない。
大学生の時には、はっきりと意識があった。
それは「文章」が好きだった。ストーリーはそりゃあ大事だけれども、なによりも文章。
綺麗な日本語が好きだった。
だから、海外作品の、代用されただけの、色褪せた日本語には、魅力を感じずにほとんど読まなかった。
けれども最近、2021年現在、海外作品ばかり読むようになった。
相変わらず、「文章」的な、言葉が好きなのは変わらない。
たとえばカポーティの、「夕闇が窓ガラスを鏡に変えてしまう。」という一文。
何気ない言葉がわたしを幸福にしてくれる。
けれども、筆者がするどい視点で観察して言葉にしたことや、その考え自体を、面白いと思えるようになった。ここでは書ききれない、美しい考え方に出会うたびに、幸せになる。
とても良い変化だと思う。
散りばめられた言葉、本の中に埋もれたそれらを楽しみに、前に読み進めるのだ。
良いな、と思ったところには付箋をつけるようになった。
いつか見返すことがあると、とても楽しみである。
part2
今日知ったのだが、S・フィツジェラルドのグレートギャツビーや、ティファニーで朝食を、村上春樹はこれらを、「アメリカン・ドラマツルギー」というものに分類しているらしい。
そして現れた「イノセンス」という概念。
今日知ったその言葉を偉そうに語ることはしないが、上記二作品の視点や考えの共通性、面白いなと思って調べた時に現れたこの概念、やはり共通に分類されていたこの二作品、今後わたしの人生で、文学との関わりの中で重要な立ち位置を占めるのかもしれない。
記録として。 2021年5月1日、GWの初日、休日出勤の夜。