とある海藻

綺麗な暖簾を押す。


自分のことを思ってくれている人、

僕には特別な人ではない。

しかし、自分に向けられた思いにはしっかり向き合わなければ、という思い。

それは自分が他人に気持ちを向けた経験があるから、そう思うのかもしれない。


暖簾は風に揺れている。


その人は僕にとっては特別な人だからか

逃げずに向き合って欲しかったからか

その状況から抜け出したいだけなのかもしれない


暖簾に手応えはない。


半年も同じ状況だった気がする、もっと多いかもしれない。

自分の中で勝手にその気になっていただけかもしれない。


暖簾はこちらに向けていない裏面も綺麗だ。
僕はそれを見て見ぬ振りをする。


この気持ちを何回経験しただろうか

たった一人相手に

自分でも分かっているのに


暖簾は風に綺麗に踊るだけで、こちらにはまったく興味がない。


頑固だと言われてウッとなる。

本当は気づいていたのかもしれない。

周りからの声でその気になっていただけかもしれない。


暖簾は光を反射して、たまに僕だけに綺麗な姿を見せる。ただの気まぐれなのに。


行動に義務感を感じてしまう。

無視できないほどその疑問は大きくなっていく。


本当は好きじゃないのかも。


暖簾を押し続けるのももう止めたい。


やっとの思いでご飯まで辿り着いたのに、その瞬間嫌な気持ちになってしまった。


暖簾をみる、離れた距離から。

もう押したりはしたくない。

忘れるよりも同化する感覚 Part1

今だからこそ書ける、思うことを。

今年から大学四年になった。すでに研究室配属を終えて、今まで重きをおいてきたサークルと距離を置き、つまんない院試の勉強なんかをやってる。

研究室は、知り合いの先輩がいたのと、バイトやサークルなんかで培ったコミュニケーション能力で、まあ、うまくやってるんじゃないかなー、といった感じ。まあ安心。

 

けれども、新しい環境というものはどうしても勝手悪いと思うことがある。

 

きっとそれはその新しい環境に慣れてないことに他ならない気もするし、時間がたてば何も思わなくなるのだろうなー、と。

忘れるわけじゃないけど、感覚的に同化してしまうような、自分の中でこれは違うなということに対してもそのうち何も思わなくなるんだろうけど、それがちょっとだけ嫌だ。

だから今、違和感をまだ感じている時に、書き残そうと思った。

前置きが長くなった、、、

 

まず思うことは、研究室来ないやつはダメだ、という先輩からの圧力。それがうちの研究室の雰囲気のメインストリーム。最初は先生からの強制かと思ってたけどそうじゃなかった。

確かに来ない人は研究しないわけだから、結果主義のうちでは大事なんでしょう。

でもしょせん研究なんて、大学でやるうちなんて盲目的になってまで、する必要があるのだろうか。

その雰囲気を作り出している主な一人の先輩は、研究関係の狭い世界の話しかしない。

大学とは、、、みたいな話は長くなるからでしないけど、なにも知らない、視野の狭い人間だなぁって思っちゃう。踏み込むと個人的な悪口になるからこれ以上言わないけど。

三十歳になって仕事の話しかしない人間にはなりたくない。一生懸命なのはわかるし、素晴らしいとも思うけど、一回きりの人生それでいいんだろうか。老後とか自慢話に明け暮れちゃうんだろうなあ。

ちょっと話それたけど、、、

来ないやつは・・・の雰囲気って、実は大きく言えばブラック企業の正体なんじゃないだろうか。

誰かがその雰囲気作っちゃうと帰れないじゃんね、自分はいいかもしれないけど他の人にはものすごく迷惑。

長くなったので、ここで一回切ろうかな・・・

ここまで書くのに一時間以上使ってる。笑

これをPart1と題して、近いうちに続きでも。

焼肉食べ過ぎた。

4月19日。

 

頑張って続けます

三日坊主に加えていろんなものに手を出す僕ですが、今回も懲りずにブログをはじめてみた。

理由はいくつかあるのだけど、主なうちの一つは、最近憧れの表現というやつで、それをしていくうえで自分にとっては文字で表すということが一番わかりやすく、すぐにできて、あとから見直せたりするから便利かなー、と。

思考なんて半年もたてば変わってくるものだと思うし、さらに新しいものも増えると思うので。

ツイッターとかだと見る人が多くてとてもできない。

 

思考の整理もできそうで。

 

気が向くままに更新しよう。