音楽で人を殺せるか

「音楽で人を殺せると思う?」

 

3日ぶりに会った彼女は、第一声でそんなことを言った。それは一見質問の形をしているが、彼女の中にただ存在したままの、これっぽちも答えを求めない鋭さを備えていた。

 

「殺せるかもね。」

僕は答える。彼女は僕を見ないまま、

「私はなんども死んだの。」

と言った。続けて、

「それは経験なの。聴くという、限定されたものから激しく乖離した、五感すべてに染みこむ毒のような。あるいは覚めない夢、何かに追われ、振り返ることもできずただ逃げ続けるだけの道。行きつく先は同じと分かっていながら、それでも逃げ続けなければならない義務。死んでいるのとなんら変わりない。最終的な死の自覚があるのなら、それは連続した現在でも同じはずよ。」

と言う。

そこで僕は

「では、生きるとはなんだい。」

ときいてみると、間髪入れずに、恐怖だ、と彼女は答えた。

「それは死に向かい、走り続けることと同義ではないのかい。」

再びきくと、彼女は少し僕の方をみて、

「いいえ違うわ。」

とはっきり述べた。

「それは拒絶なの。圧倒的なものへの従属を拒むことで、その見返りを失うことへの感情こそが生の正体よ。」

「分からないな。」

僕が聞くと、彼女は少し困ったように、

「どうして?簡単なことじゃない。目に見えなくても皆同じなの。皆が持ち合わせているものなのよ。覚えがあるはずよ。死の自覚があるとすれば、きっとそれは安らかなものであって、恐怖とは真逆の性質を持ち合わせてるはずよ。」

「では君は、自覚しているというのかい?」

「そうよ。」

と彼女は言って、続けて、

「そうよ、何度もさせられたわ。嫌になるくらいね。そして残念ながら、それは平等ではないこともまた事実。死は平等には訪れない。」

と語る。

「傲慢だな。」

と僕が言うと、彼女は薄く微笑んで、

「あなたには分からないでしょうね。」

と言いながら部屋から出ようとする。

「ただ、」

僕が彼女の方を見ると、

「近づくことはできるわ。」

とゆっくりと僕に歩み寄り、耳元で

「Kuiper. 」

とだけ、呟いた。

 

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なんでこんなにがんばっているのか分からない

どうしたらいいのか、ほんとうに難しい。遠距離で恋愛をしていて、なんでこんなにがんばっているのか分からない、なんて言われたら、正直しんどいね。

 

私の仕事の都合でこんなに離れることになってしまったけど、それは本当に申し訳ないと思っているけど、今回ばかりはなんて声をかければ良いのか本当にわからない。

 

ごめんね

 

 

一番返信に迷った日。

 

朝食を食べる

朝食というのは心の安定に欠かせないものだと思う。

 

泊まるようになって朝食を出してくれること、1日のエネルギーという話は別にして、1日安心して過ごせる気がしている。

 

何より、一人暮らしの私にとって普段あまり食べない朝食が温かく、そして手作りなのはとても心が温まる。最高。

NBAシーズン

NBAプレシーズンが始まった。

我がスパーズはオフにゴタゴタがあり、ほとんどが新メンバーという新シーズン。

 

優勝は出来ないかもだけど、ウェストファイナルくらいのシーズンになってくれたらなあと思う。

 

何よりも、スパーズの試合が見れることに感動がある。

膿を出し切ったスタート、新たな門出を見守ることができて嬉しい。

 

次の試合が待ち遠しい。

人生

私が今後生きていくにあたって思うのは、お金はそこまで重要でないということ。

スキルアップをして、お金をたくさん稼ぐというのは個人的には目指す生き方ではないのかなあと思う。

 

周りの意識高い系に流されて、こういう仕事をすべきみたいな考えを持つのはやめようと思っている。

 

ある程度のお金があって、好きなことができて、子供が大学まで行けるくらいのお金があれば良い。

しかし最近の日本は余裕がなく、この生活が出来るのも裕福層になって来ているというのはまた別の話。

 

一応大手企業に行き、お金は平均よりもまあ貰えるとは思うので、今後の社会の情勢を見ながらかなあ。

将来的には地元にUターン就職するのもありかなあと思っている。仕事は公務員しかないけれど。

 

「1日を楽しく暮らしていけるだけのお金があれば良いのよ」海で働いていたおっさん。

「お金をたくさん稼いでいない人を、人は色目で見る」グレッグ・ポポヴィッチ

「お金が全てじゃないだろ」高校の部活の同期。

 

周りの目は気にしないこと。これが大事。

 

学生

学生、特に高校生の時はとことんものを突き詰めることができる時間だと思う。

 

部活でも良いし、遊んでも良いだろう。

 

例えばなんでもする時間があれば、例えば無駄な朝の授業時間などなければ、私は今と同じようにバスケの朝練を自ら始めたかもしれないし、もっと活躍できたのかもしれない。

 

私のこの性格をわかっていて、高校の部活の最中にもはや、「将来私が、もっと練習しておけばよかった」と思わなくて良いように、というかどうせ絶対思ってしまうはずなので、「いや、これ以上ないくらい頑張った、と今胸を張って言える」という思い出を作っていた。

気持ち悪いがその予想はズバリあたり、あの時こうしていれば、とか、もっと頑張れたんじゃないか、とか考えてしまう、その思い出がありながら。

 

学生とは、心を作る時間なのだなあと、つくづく思う。