ペン
お気に入りのペンが欲しい。
今のご時世、キーボードを叩く時間の方が多いのはわかっているが、ふとした瞬間、何か文を書いたりするときにスラスラと、大地を踏みしめるように力強く書ける、手に馴染んだペンがあると良いなあと思う。
きっと楽しくって何処にでも連れ歩いちゃって、何回も無くしちゃうんだろうなあ。
メモ帳。
気になったことを少しだけ。
私が好きなのは「概念」であり、
「具現化」には興味がないのかもしれない。
もちろんアウトプットが下手で、思ったように具現化できないのもあると思う。
それはこの前の、指示型の人間であるということかもしれない。
ああしろ、こうしろ、という思いは湧くが、実際に始めよう、といった瞬間に冷めるような気がする。
例えばゾイド。
自分で作るから面白いのだが、私はきっと、組み立てずともそれを愛することができる気がする。
物理。
高校の時好きだったものは、今も好きだが、具体的なことでなくどういうものが存在しているかだったと思う。勉強は好きだ。
仕事ではどうなのだろう。具現化が苦手、というなら
製造は向いていないのかもしれない。では研究?
研究とは勉強ではない。仮定を立て、それを確かめるために検証作業を伴う。
その案を考えるのは好きかもしれない。
しかし、実際やってみようという気持ちと行動力は全然出てこない。
大学の研究は、終わりがない。
それは時間によってほとんど決まってくると思う。
頑張ったところで何もフィードバックがないのだ。
それでも頑張れる人は素直にすごいと思う。
自分に見返りがないと人は頑張れない。のだそうだ。
音楽と劣等感
音楽。
あの頃の私は、音楽に絶望していた。
たるんだ左足でリズムをとり、その短い指で弦を弾き音を紡いでいた時、私はそれに何も意味がないと思っていた。世界にとっても、私にとっても。
音楽に感動し生かされていながら、死ぬ頃には音楽なんて聴かないんだとか、モラトリアムの塊みたいなものと同居していた。生きながらにして死について考えた。
劣等感。
村上春樹の「ノルウェーの森」を読んだ。レイコさん、というピアノに人生をかけ、20年でそれを奪われた人が出てくる。
こんなことを言っていた。
「さっきも言ったように私は四つの時からピアノを引いてきた訳だけれど、考えてみたら自分自身のためにピアノを弾いたことなんてただの一度もなかったのよ。テストをパスするためとか、課題曲だからとか人を感心させるためだとか、そんなためばかりにピアノを弾きつづけてきたのよ、もちろんそういうのは大事なことではあるのよ、一つの楽器をマスターするためにはね。でもある年齢をすぎたら人は自分のために音楽を演奏しなければならないのよ。音楽とはそういうものなのよ。」
その言葉に私は安堵する。
あの頃より楽器を弾くことが減って、私は月に一度、楽器を手に取るかどうかになった。もちろん指なんて動かないし全然弾けない、曲なんて覚えてない。
たまに弾きたくなって、それを手に取り、好きだったくるりの「How to go」や「赤い電車」を弾いている。
それがまた、たまらなく楽しいのだ。普段のストレスが吹き飛ぶくらい。
自分が音楽が好きだということがひしひしとわかる。
誰に見せるでもなく、その瞬間、自分のために音楽を奏でている。
やっとあの頃の自分を、劣等感だけで楽器を弾いていた自分を水に流せた気がする。
記事更新の話
文章力をつけるにはまず書くことから、ということで毎日の更新を頑張ってみようとしています。普通に忘れてますが。
大変な学校から帰って何をするか、ということにずっと悩んでいたのですが、というかやりたいことは多いけど多すぎて毎回統一性がない、ということを心底考えていたんですが、帰ってその時やりたいことをするのが一番良い、という当たり前の結論に行き着きました。広く浅く人間なのに突き詰めたい欲もすごいので毎回葛藤がすごいのですが、広く深くを目指せば良い、というこれまた当たり前の結論。ぼちぼちやります。
にしても、「獣の奏者」は本当に面白いなあ。昨日も夢中で読んじゃった。
中学のときに出会ってずっと読んでる。上橋菜穂子さん最強。
恋人
恋人の欠点を愛してこそ、と人は言う。
その欠点に、随分悩まされている。
最初の頃ほどイライラすることは無くなったけど、ストレスはちょっとずつ溜まっていく気がする。
いつか爆発するんだろうか
恋愛はやっぱり難しい。分からないことばかりだ。