音楽と劣等感

音楽。

あの頃の私は、音楽に絶望していた。

 

たるんだ左足でリズムをとり、その短い指で弦を弾き音を紡いでいた時、私はそれに何も意味がないと思っていた。世界にとっても、私にとっても。

 

音楽に感動し生かされていながら、死ぬ頃には音楽なんて聴かないんだとか、モラトリアムの塊みたいなものと同居していた。生きながらにして死について考えた。

 

劣等感。

村上春樹の「ノルウェーの森」を読んだ。レイコさん、というピアノに人生をかけ、20年でそれを奪われた人が出てくる。

こんなことを言っていた。

「さっきも言ったように私は四つの時からピアノを引いてきた訳だけれど、考えてみたら自分自身のためにピアノを弾いたことなんてただの一度もなかったのよ。テストをパスするためとか、課題曲だからとか人を感心させるためだとか、そんなためばかりにピアノを弾きつづけてきたのよ、もちろんそういうのは大事なことではあるのよ、一つの楽器をマスターするためにはね。でもある年齢をすぎたら人は自分のために音楽を演奏しなければならないのよ。音楽とはそういうものなのよ。」

その言葉に私は安堵する。

あの頃より楽器を弾くことが減って、私は月に一度、楽器を手に取るかどうかになった。もちろん指なんて動かないし全然弾けない、曲なんて覚えてない。

たまに弾きたくなって、それを手に取り、好きだったくるりの「How to go」や「赤い電車」を弾いている。

それがまた、たまらなく楽しいのだ。普段のストレスが吹き飛ぶくらい。

自分が音楽が好きだということがひしひしとわかる。

 

誰に見せるでもなく、その瞬間、自分のために音楽を奏でている。

 

やっとあの頃の自分を、劣等感だけで楽器を弾いていた自分を水に流せた気がする。