映画という芸術に対しての私の感性

久しぶりに映画館で映画を観た。
レヴェナントという、圧倒的に寒い、辛い、痛い映画。

この二時間半の映画を観終わった時、凄まじい映画だったなと思うと同時によくわからないモヤモヤが残って、家に帰る間も映画のことをずっと考えずには居られなかった。

ある程度考えがまとまったらネットでレビューを見てみようと思い、自分なりに考察してみたのだけど、その後レビューを見て、絶望と感動が同時に体を駆け巡る体験をすることになってしまった。

何に感動したかと言えば、それはこの映画のテーマが「親子愛」であり、それによって物語が進んだことは誰にでも理解できることだった。しかし、そのテーマの表現が至る所で…僕の気付かないところで多々存在していて、映画を観終わってモヤモヤしていた理由がテーマ性の主張がなんか弱いと感じたから、と気づけたことと、そのテーマ性の表現自体に深く感動してしまったことだ。

絶望した点は、映画を観ている最中、そのテーマが表現されている箇所に、自分の力で気付けなかったことだ。
このことは本当に悲しく、僕にとっては許せないことだ。単直に言えば、僕が「作り手の狙いにすら気付けない、つまらない受け取り手」になってしまっているということだ。これはもはや、好き嫌い、良い悪いで芸術を評価することすらしてはいけない、僕からしたら本当になりたくないような人だ。自分に怒りすら覚える。

こう思うのも、僕は同じ芸術である音楽ではある程度それが出来ている自負があり、作り手の狙いや意図までを感じることが、受け取り手としてあるべき姿だと常日頃思っているからだ。

音楽でそれが出来ている分、映画での受け取り手である自分がどれほど未熟かがよく分かる。努力しよう。感性を磨こう。

NBAでも最近そう思ったな。