朝食を食べる
朝食というのは心の安定に欠かせないものだと思う。
泊まるようになって朝食を出してくれること、1日のエネルギーという話は別にして、1日安心して過ごせる気がしている。
何より、一人暮らしの私にとって普段あまり食べない朝食が温かく、そして手作りなのはとても心が温まる。最高。
人生
私が今後生きていくにあたって思うのは、お金はそこまで重要でないということ。
スキルアップをして、お金をたくさん稼ぐというのは個人的には目指す生き方ではないのかなあと思う。
周りの意識高い系に流されて、こういう仕事をすべきみたいな考えを持つのはやめようと思っている。
ある程度のお金があって、好きなことができて、子供が大学まで行けるくらいのお金があれば良い。
しかし最近の日本は余裕がなく、この生活が出来るのも裕福層になって来ているというのはまた別の話。
一応大手企業に行き、お金は平均よりもまあ貰えるとは思うので、今後の社会の情勢を見ながらかなあ。
将来的には地元にUターン就職するのもありかなあと思っている。仕事は公務員しかないけれど。
「1日を楽しく暮らしていけるだけのお金があれば良いのよ」海で働いていたおっさん。
「お金をたくさん稼いでいない人を、人は色目で見る」グレッグ・ポポヴィッチ。
「お金が全てじゃないだろ」高校の部活の同期。
周りの目は気にしないこと。これが大事。
学生
学生、特に高校生の時はとことんものを突き詰めることができる時間だと思う。
部活でも良いし、遊んでも良いだろう。
例えばなんでもする時間があれば、例えば無駄な朝の授業時間などなければ、私は今と同じようにバスケの朝練を自ら始めたかもしれないし、もっと活躍できたのかもしれない。
私のこの性格をわかっていて、高校の部活の最中にもはや、「将来私が、もっと練習しておけばよかった」と思わなくて良いように、というかどうせ絶対思ってしまうはずなので、「いや、これ以上ないくらい頑張った、と今胸を張って言える」という思い出を作っていた。
気持ち悪いがその予想はズバリあたり、あの時こうしていれば、とか、もっと頑張れたんじゃないか、とか考えてしまう、その思い出がありながら。
学生とは、心を作る時間なのだなあと、つくづく思う。
読みたい本
読みたい本を探すのが、最近難しくて悩んでいる。
私は江國香織が好きであるが、江國香織の本ばかり読んでいるのもちょっとなあ、という気持ちがあり(ほとんど読んでしまったというのもある)、最近は様々な本に手を出している。
しかしこれらの著者を選んだ理由はただ「知っていたから」であり、有名だしとりあえず読んでみるか、と本屋で手にとってみたに過ぎない。
つまり、明確な意思を持って本を選んでいるわけではない。
ここで困るのが、知っている著者をあらかた読んだあと、次に何を読めば良いか、ということ。
選ぶ基準がそんな感じなので、知らない本は手に取らないという問題、かつ何を読めば良いか分からないということだ。
もちろん「華麗なるギャッツビー」など読みかけの本はあるけれども、読みかけにはそれなりの、そうならざるを得ない理由があるので除外である。
そして今夜もプラリと、本屋を徘徊し、何も買わずに出てきてしまうのだろうな。
話すこと
人は話し合えば話し合うほど、分かり合えない生き物だと思っている。
自分の意見をどうにか相手に分からせようとするだけで、自分が相手を理解しようとは勤めない。
大抵は屁理屈を言いだすだけで、それはもう面倒臭い。
例えばふと微笑んでしまう瞬間
ふと微笑んでしまう瞬間、その一瞬、世界は急に色づいたものになると思う。
行きつけの温泉、20円で2分使えるドライヤー。
バンドマンでもない限り、男は多分2分もいらない。
それは大抵、1分30秒程度で終わって、残り30秒くらいを持て余して終わる。
その30秒を如何に使うか、それはあなたの心に委ねられる。
冷風にして髪をセットするのもよいし、そのまま電源を切って立ち去るのもあなたの自由だ。自由とはすなわち、選択することができるということなのだろう。
私の前に髪を乾かしていた男は、乾かし終わったその後、その残りの30秒を次に使う人、つまり私に譲るという選択をした。
良い男だ。いくら自由といえども大抵の人間は電源を切り、自分の髪だけ乾かしてしまえばそれで終わりである。そんな中、彼は「これ使って良いっすよ!」などと発言し、しっかりと目盛りを冷風にしてから渡してきた。
たかが髪を乾かすことではあるが、それは心が乾いている人間にはできない所業である。
心からの優しさ、それに触れることができるのは滅多にないだろう。
ありがとうございます!と万遍の笑みを浮かべそれを受け取った私は、目盛りを温風にし、こんな優しい人がいるんだなあと思いながら電源をつけ、髪を乾かし始めた。
2秒で切れた。