自分がダサいと思うことをする必要性
私が後輩からラブコールを受けているバンドをやりたくないのは、自分が良いと思わない音楽を他人の前で演奏したくないからだ。
サークルを引退した。
といっても去年の冬の話だから、もう半年以上前のことだ。
現役の時には同じベースのパートに人が少なかったせいか、僕がある程度のレベル(サークル内の現役のレベルはそんなに高くない)で弾けるためか、お誘いがたくさん来たし、バンドは楽しかったので、とても多くのコピーバンドを組んだ。
サークルの1/4は僕が関わったバンドだった。
そのたくさん組んだバンドについて、その本家の立派なバンドについて言えるのは、そのバンドのことをしっかり好きである、ということである。
少なくとも組んだ当時は。
僕が軽音サークルに入ったのは一年生の終わりの方で、最初は違うサークルに入っていた。
そのサークルを辞めてからはしばらく学科の友達と遊んでいたが、ずっと好きなバンド系の音楽にさらに深くのめりこんでしまい、良い音楽について話せる、共有できる人が近くに欲しいと思うのに時間はかからなかった。
私が軽音サークルに入ろうと思ったのは、バンド演奏してみたいということと、自分が良いと思う、好きな音楽について話せる友達が欲しかったのである。
たくさんコピーしたバンドの中にも、思い入れの強いものとそうでもないものがあって(組んだ人ごめんなさい)、僕の中ではそれは、大御所だけど、挙げるとすれば「TZ(身バレ防止の為に伏せます)」「Sa」「Ar」だった。
この三つは、まずバンドとして愛しているし、演奏が難しいのでやりがいもあって、かなり思い入れがあるものだった。
最後の引退ライブでTZとArがオーディションに落ちた時には号泣だった(特に事変)。
一生忘れないだろう。
やりがいのある(コピー)バンドはもうひとつあった。名は伏せよう。
メンバーが、一つ下の代のオールスターと僕、という組み合わせで、現役の中でならかなり上手いバンドだった。
最後の引退ライブも有力視されていたが、とあるメンバーの素行不良によりオーディションに出場できないことになってしまったバンドである。
僕の中では、確かに「やりがいのあるバンド」だった。
しかしそれ以上でもそれ以下でもない、というのが僕の正直な気持ちである。
先ほども言ったように、組んだ時点ではとても好きなバンドだった。ベースラインが結構かっこいい。
でも、最近出た彼らの曲を聴くと、メジャーデビューに飲まれてしまったような曲が増えた。
飲まれるバンドはたくさんあれど、理論系の彼らなら・・・と思っていたのだが、目指している所がさらに上なのだろう、とてもキャッチーなものになっていた。
僕の持論というかこれはよい音楽だ、と思う基準がある。
「十年後も聴かれているかどうか」である。
これは音楽だけに限った話ではないかもしれない。
サークルを引退してから、今までよりさらに音楽を聴くようになっていた。新しい音楽を、一日に5曲くらいは絶対聴いている。最初はとても体力が必要だったが、それでよい音楽に巡り合える確率はグンと上がる。
実際素晴らしい音楽をたくさん見つけたし、なにより、良いものを良いものとして認識できる力がついたんじゃないかな、と思う。
音楽を聴いている量は現役の時からかなり多かったので、この音楽はたかが3,4年だろうな、というものは分かるようになっていた。
冒頭のバンドは、10年後にも聴かれているのだろうか。しっかりとした表現を失った彼らの音楽に魅力はあるのだろうか。
売れてるバンドは好きじゃない、という話ではない。売れるだけでも才能がいるのは確かだ。
しかし、今現在の音楽シーンは、つまらんフェスに出場するためだけのつまらん音楽があふれかえっている。
日本の音楽性はガラパゴスと言われるが、そろそろ限界を感じている。
そのバンドにも、つまらない独自性の匂いを感じてしまったのだ。
いま、後輩たちにそのバンドをもう一度やってくれ、そのバンドでベースを弾いてくれ、とたのまれている。
する理由があるとすれば、後輩のため。
しない理由は、今まで述べた通り。
自分が信じていない、もはや大事でも何でもない物なんかやりたくない。
そんなものを人前で演奏するなんて、僕にとって論外である。
私にはセンスがないですよと吹聴して周ることに他ならない。
ダサいと思うことをする必要性なんて、僕にはない。
映画という芸術に対しての私の感性
表現の世界
緊張とか不安とかネガティヴ感情だったけど
とある海藻
忘れるよりも同化する感覚 Part1
今だからこそ書ける、思うことを。
今年から大学四年になった。すでに研究室配属を終えて、今まで重きをおいてきたサークルと距離を置き、つまんない院試の勉強なんかをやってる。
研究室は、知り合いの先輩がいたのと、バイトやサークルなんかで培ったコミュニケーション能力で、まあ、うまくやってるんじゃないかなー、といった感じ。まあ安心。
けれども、新しい環境というものはどうしても勝手悪いと思うことがある。
きっとそれはその新しい環境に慣れてないことに他ならない気もするし、時間がたてば何も思わなくなるのだろうなー、と。
忘れるわけじゃないけど、感覚的に同化してしまうような、自分の中でこれは違うなということに対してもそのうち何も思わなくなるんだろうけど、それがちょっとだけ嫌だ。
だから今、違和感をまだ感じている時に、書き残そうと思った。
前置きが長くなった、、、
まず思うことは、研究室来ないやつはダメだ、という先輩からの圧力。それがうちの研究室の雰囲気のメインストリーム。最初は先生からの強制かと思ってたけどそうじゃなかった。
確かに来ない人は研究しないわけだから、結果主義のうちでは大事なんでしょう。
でもしょせん研究なんて、大学でやるうちなんて盲目的になってまで、する必要があるのだろうか。
その雰囲気を作り出している主な一人の先輩は、研究関係の狭い世界の話しかしない。
大学とは、、、みたいな話は長くなるからでしないけど、なにも知らない、視野の狭い人間だなぁって思っちゃう。踏み込むと個人的な悪口になるからこれ以上言わないけど。
三十歳になって仕事の話しかしない人間にはなりたくない。一生懸命なのはわかるし、素晴らしいとも思うけど、一回きりの人生それでいいんだろうか。老後とか自慢話に明け暮れちゃうんだろうなあ。
ちょっと話それたけど、、、
来ないやつは・・・の雰囲気って、実は大きく言えばブラック企業の正体なんじゃないだろうか。
誰かがその雰囲気作っちゃうと帰れないじゃんね、自分はいいかもしれないけど他の人にはものすごく迷惑。
長くなったので、ここで一回切ろうかな・・・
ここまで書くのに一時間以上使ってる。笑
これをPart1と題して、近いうちに続きでも。
焼肉食べ過ぎた。
4月19日。